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2011-12

11月9日 朝食 スンドゥブ 【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】 

キムチのチとチゲのチ Ⅱ
【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】
11月9日 朝食 スンドゥブ

(文・写真 大野金繁)

地下鉄車内

東横イン釜山駅1では日本と同様に朝食サービスが付くそうだが、その隣、私が泊まるアリランホテルにそのようなサービスはない。以前はレストランがあり、館内で食事もできた。いまその1階レストランはファミリーマートに衣替えしており、それはそれで何かと便利ではある。私は風呂上がりに爪切りを買ったぞ。たぶん東横インの宿泊客も利用してるんじゃないかな。

さて、釜山2日目の午前7時、私は朝飯を求めてホテルを出た。釜山駅構内1階にはレストランやカフェ、ファーストフード店がけっこうな数並んでいる。しかしまだ開いていない。2階にも飲食店はあるが、なにしろ巨大な空間であり、空振りした場合の時間のロスを考えると、そうそうはうろつけず、結局、東横インとアリランホテルの間の通りへ。そこにも食堂が並んでいる。

だいたい韓国の通りは食堂で出来ていると言ってよく、通りが食堂で出来ている以上、街は食堂で出来ていると言ってよく、つまるところ、朝鮮半島は食堂で出来ていると言っても過言ではない。それほど食堂が多いのだが、早朝から営業する店はやはり限られる。その中でうまい朝飯を探し出せる人こそが「韓国の達人」だ。もちろん、私は達人ではない。

入った店もふつうであった。ほかにひとり客がいるだけで、店のおやじは半起きの状態。やる気が出るまであと2時間はかかりそうだ。空気がぬるく澱む中、唯一食欲を刺激されたのは、婆さんが白菜を漬けてたこと。キムチが自家製っていうのは、いいよな。

キムチチゲ、テンジャンチゲ、ユッケジャンなどのメニューからスンドゥブを選択。

スンドゥブは漢字だと「純豆腐」と書かれることが多く、純な豆腐って、もじもじするばかりでちゃんとコクれない男子高校生みたいな豆腐かな?と思うわけだが、水分を抜く前の、日本で言えば「汲み出し豆腐」がそれに当たる。とわかっても「純」の意味合いがしっくりこないわけだが。

それはともかく、スンドゥブは豆腐の名称であるとともに、料理名でもある。その料理は形態からすると「チゲ」に分類できる。キムチチゲがキムチを使ったチゲであるように、スンドゥブもスンドゥブ(純豆腐)を使ったチゲで、本来なら「スンドゥブチゲ」を名乗るはずのところ、なぜかチゲを省いた。なぜ省いたか、その理由がわかれば私もたいしたもんだが、残念、わからん。

ただ、豆腐を使ったトゥブチゲ (豆腐チゲ)という料理があり、トゥブチゲとの区別を狙ったのかも、と考えたりする。おそらくトゥブチゲには純豆腐ではなく、ふつうの豆腐が使われるはずだ。そのふつうの豆腐に対してスンドゥブは、「悪いけど、オレ、純だからさ、チゲ抜きでいくわ」と、その特質をきわだたせた、みたいな。

そんな例はけっこうある。ジョンと言えばレノンだし、長嶋と言えば茂雄、小泉と言えば純一郎というように(例が古くてすまん)、名もしくは姓だけでそのフルネームを想起させる人々が存在し、それだけではなく、そういう人々は名もしくは姓だけで、その個性や属性をも喚起させる。ジョンの場合は〈オノ・ヨーコの旦那〉や〈ビートルズ〉、 長嶋は〈監督〉や〈巨人〉、小泉は〈変人〉や〈総理〉というように。スンドゥブも同じなのではないか。「スンドゥブと言えば、そりゃあもう、性格は純で、属性はチゲだぜ」と。

あるいは、こうも言える。ふつうの豆腐はさまざまな料理に使われるため、トゥブチゲは「豆腐を使ったチゲ、トゥブチゲです」とあらためて自己紹介する必要がある。一方スンドゥブは、きわめて限られた料理、それもほぼチゲのみに使われるため、「オレ、スンドゥブ」で「純豆腐のチゲ」と了解してもらえる立場にある、と。

その恵まれた生い立ちをもつスンドゥブは、トゥッペギ(土鍋)に入ってテーブルに到着。ご飯、目玉焼き、マカロニサラダ、キムチ2種類、ナムル2種類が付いている。パンチャン(おかず)の充実ぶりは、さすが韓国の食堂。見直したぞ、おやじ。しかも、豆腐はちゃんと純豆腐だ。値段が安いので、ひょっとするとふつうの豆腐を使いつつスンドゥブを騙る可能性もないことはない、と注視していたのだ。

そういう店がある可能性は否定できない。というより、日本語メニューを用意する店では、ハングルは「スンドゥブ」でも日本語は「豆腐チゲ」と表記する例が目立ち、これでは「スンドゥブ」と「トゥブチゲ」の境があいまいになるばかり。同じことはニューカマーが経営する日本の韓国料理店にも言えて、そういう「中途半端な表記・説明でよし」とする姿勢に、私はいつも苛つく。

「スンドゥブだって豆腐なんだから、豆腐チゲでいいじゃないか」という理屈もわかるが、だったら何のために「スンドゥブ」の呼称があるかってことだ。頼むから、もうちょい表記や説明に精魂傾けてくれ、自分らの食文化じゃないか、と思うのだ。

こういうふうに書くと怒ってるように思われるかもしれないが、実のところ面白くてたまらない。ほんのささいなことであっても、文化的なズレを自覚できたとき、心底「韓国って楽しいな」って思う。今朝も、スンドゥブひとつでこんなに楽しめた。今日もきっといい日だろう。

スンドゥブ/5000ウォン
店名/プヨンフィガン
地域/釜山駅近く

11月8日 夕食 ムルマンドゥ 【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】

キムチのチとチゲのチ Ⅱ
【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】
11月8日 夕食 ムルマンドゥ

(文・写真 大野金繁)

夜の釜山駅前広場

釜山駅はセマウル号やムグンファ号の京釜線とKTX京釜高速線の発着駅。2004年に大改修が行われ、09年に拡張工事も完工、外観も内部も大都市の主要駅にふさわしいものになった。その明るくなった駅舎を背に横断歩道を渡り、最初の角を右に曲がった路地が、ロシア人の多い外国人街。夜は東南アジア系も目立ち、超ミニボディコンの姐さんたちが店の前で客を引いている。ロシア人はやや年増、東南アジア系はやや若く、東南アジア系の会話は、たぶんタガログ語だ。

1990年代のはじめごろ、この通りにはまだ「テキサス通り」の名があった。アメリカ海兵隊員が集う場所と紹介されていたが、そのころすでにロシア人が多かったと記憶する。極東や東南アジアとの貿易が増すにつれ、たむろする人々は軍人から船員へ、看板の文字は英語からロシア語へと変わり、しかし歓楽街としての役割はそのまま、というのがこの通りの歴史だろう。ガイドブックに「ひとりで出歩かないほうがよい」とあるように、確かにあやしげなフンイキが漂うが、店頭の丸椅子でビールを飲むかぎり、ぼったくりもなく、無体な勧誘にあうこともない。さほど危険はない、というのが実感であり、それ以上のことは、知らんです。

このテキサス通りに入らず、最初の角を左に曲がると「上海街」だ。古くからの中国人街で、近年観光資源のひとつにしようと表通りに面して上海門が建てられた。しかし門が釜山駅正面から南にずれて建つため、あまり目立っていない。また、長崎や神戸の中華街のようには中華一色に統一されておらず、ほかの通りと見分けがつかない家並に、中華料理店がぽつん、またぽつんと灯を点す。夜はけっこう淋しげだ。

それでも本格派(に見える)中華レストランが2、3軒あり、大衆中華の店はもっとある。その大衆中華料理店の中で、もっともにぎわう一軒に入った。

ちょうど2人組が勘定に立ったところで、4人掛けのテーブルにひとりで座らされた。ほかの席はすべて埋まり、目に見えるような歓談の声が、各テーブルから沸き上がっている。メニューはないかと首をまわしていると、店主らしき中年男が壁を指差し、その表示を吟味させる間もなく、焼き餃子にするか、水餃子にするかを問うてきた。活気がある店だけに店主の口調もシャキシャキしており、ここで考え込んだらオーダーはずっと先延ばしにされそう。で、急かされるままに焼き餃子を注文。直後、考え直して水餃子に変更。そっちがウリみたいなので。

店主は言った。

「じゃ、ムルマンドゥ(水餃子)にビール、それとエビチャーハンね?」

なんと、忙しい最中、店主はいつのまに人の心を読んだのか、エビチャーハンが追加されている。確かに私はチャーハン好きで、3度の飯より好きなくらい。しかし、それをなぜわかる? 

どうやら、店はエビチャーハンもウリらしく、店主としてはそれもすすめてくれてるらしい。だけどさ、まず餃子をアテにビールを飲みたいじゃない。チャーハンは飲んだあとにしたいじゃない。そう伝えたいんだけど、言葉ができない悲しさ、「エビチャーハン、いらない」としか言えなかった。ま、食いたきゃ、そのとき頼めばいいんだし。

ビールがテーブルに置かれた。コップにつごうとしたら、栓が抜かれていない。たいていの食堂系の店では瓶ビールの栓は客が抜くことになってるようで、栓抜きはダスターの横にあった。ダスターがテーブルにあるということは、ひょっとするとテーブルも客が拭くシステムかもしれない。それはないか。付き出しはキュウリ。中華系のタレがかかっている。

キュウリの付き出し

その間にも客は入れ替わり、ウエイティングも出ている。子ども連れも何組かいて、客層は幅広く、これだけ繁盛すると商売は楽しいに違いない。夢想に元手はいらないので、福岡で餃子屋を開いて大儲けをする夢を描きつつビールを飲んでいると、ムルマンドゥが盛大に湯気を噴きあげて到着。効果音を入れるなら「ドチャッ」がふさわしい音でテーブルに置かれた。

ムルマンドゥ

ああ、こりゃ、食いきれんわ。予想を超えた大ぶりの餃子が、数えると15個ある。上陸のその晩に、はやくも一人旅最大の難関に直面してしまった。

テーブルには醤油と酢と唐辛子の粉があり、自分で酢醤油を調合、唐辛子をこれでもかと振り入れ、餃子にまぶして皆さん食べている。それに倣う。

3個で飽きた。それがまだ12個残っている。ひとりの自分が呪わしく、気の合う仲間といっしょだったら、どんなに釜山の晩飯は楽しいだろうと悔しくてならない。

隣のカップルがうまそうにつまんでいるのは、いったん揚げた鶏肉を野菜といっしょに炒めたもののようで、メニューで確かめると「カンプンギ」という料理。少しずつ、ああいうのも食いたいわけだが、少しずつという慣習は、大枚をはたく韓定食をのぞくと、この国のどこにも見当たらない。私は黙々とひたすらに、いつまでも餃子を食った。もはやエビチャーハンのことは、心の片隅にも浮かばなかった。

福岡に戻って辞書をひいてみたところ、カンプンギは載っておらず。なんだろ、あの料理。

ムルマンドゥ/6000ウォン
店名/一品香
地域/上海街(釜山駅前)

11月8日 昼食 ソルロンタン 【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】 

キムチのチとチゲのチ Ⅱ
【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】
11月8日 昼食 ソルロンタン

(文・写真 大野金繁)

ソルロンタン

この日、海は鈍色にうねり、水平線は鈍色を集めた黒い帯のように彼方にあった。窓に雨の雫が走りはじめたのは海峡の真ん中あたりだろう、しだいに天気は荒れ模様って感じで、ときおり起こる大きな縦揺れで船底に波の衝突音が響くと、小さな悲鳴が呼応。その後、妙に船内が静まり返る。いいなあ、緊張感のある船旅も。3時間たって五六島が姿を現すと心底ホッとするもんな。で、小降りになった雨の中を、JR九州高速船が運行するジェットフォイル「ビートル」号は、まるで釜山の発展ぶりを見せつけるかのように、湾岸に向かって速度を落とすのであった。

両替をすませて釜山国際旅客船ターミナルを出ると、庇の先に釜山駅行きの直行バスが停まっていた。料金箱に900ウォンと書かれているが、なぜか1000ウォンを投入するよう指示され乗車。数人の客を乗せたバスは中央大路に出ることなく右折し路地へ。裏道を行くらしい。バスが。

運転手はおばちゃんで、おばちゃんは店の軒先で客と立ち話をするように客のおばちゃんと親しげな会話を交しつつ、路肩に出現する雑多な障害物を巧みに避ける。これは無理だろ、という無法な駐車車両が進行を阻む場面でさえ、いささかの躊躇も見せずすり抜け、なんなく釜山駅にバスを着けた。すげぇ。

駅前広場南端に東横インと並んで建つ一級ホテル「アリランホテル」にチェックイン。すぐにカメラバッグを肩にかけ、広場を通って地下鉄駅に降り、新平(シンピョン)行き電車に乗り込む。とたんに、半島の匂いに包まれる。トウガラシの粉塵が充満しているかのような、のどに辛い匂いで、濃すぎてかえって気づかないのか、たぶんニンニク臭を含む。明日には同じ成分が私に取り憑き、1週間のうちに体内に棲み着くであろう。博多港に帰り着いてタクシーに乗り込む、本当はしかめたい顔に素知らぬ表情を保ったまま運転手が行き先を訊ねる、そのときの微妙な空気感を、この匂いははやくも予測させる。

2駅先の南浦(ナムポ)から地下商街を札嘎其(チャガルチ)方面へ歩き、繁華街南浦洞の路地に出る。午前10時博多港発のビートルだったため、まだ昼食をとっておらず、ちょうど通りかかった「ソウルカクトゥギ」に入った。あいかわらずこの店は目立つ。いい立地なのだ。

店の看板メニューはソルロンタンやコムタンといった牛スープ料理。私、かつてソルロンタンとコムタンの違いを取材で訊ねたことがある。その際の通訳とのやりとりは、こんな感じだった。

「同じように見えるけど、どこが違うの?」

「ソルロンタンは牛の骨と内臓でスープをとります。一方、コムタンは牛の骨と内臓でスープをとるのです」

店主の言葉をそう訳しつつ、日本語を勉強中のアルバイト学生は困ったような笑みを浮かべていた。その顔を見ながら、そもそもがあいまいなんじゃないか、と思ったものだ。

〈名前が違う以上、調理の違いや素材の違いはあるし、食べ分けもできるけど、そこはかなり微妙で、新参者が実感できるようなものじゃない〉

と私なりに意訳し、結果、ソルロンタンとコムタンの違いを聞かなかったことにした。そういう思い出のある店だ。

ということで、どっちでもいいのだが、ソルロンタンを注文。いまや福岡の韓国料理店でもお馴染みのメニューであり、珍しくもなんともないが、こういう骨や内臓を炊きだすスープ料理は、やはり専門店の独擅場。白いスープに肉がたっぷり入り、底にご飯が沈み、素麺が浮いている。だからといって、これをソルロンタンの特徴として報告することは間違いで、ご飯が別に出る店もあるし、素麺が入らない店もある。「ウチはこうである」と「ソルロンタンはこうである」をたやすく混同するのが旅行者で、実は取材者も同じ。真実を把握するには言葉の壁があるし、韓国の場合は「あなたがそう判断し、そう信じるなら、私たちはそれでいい」という親切心も加わる。私もそうだが、多くの外国人は、半島の表層をぷかぷか浮かんで旅しているにすぎない。

ソルロンタンについて言えることは、牛スープであり、そのスープに味は付いておらず、塩と胡椒を用い客自ら味付けすること、カクトゥギ(大根キムチ)が付くのが定番、くらいだろうか。

店の特徴としては、店名に冠するくらいだからカクトゥギに自信があるに違いなく、それが他店よりやや大きめに切られている、ってとこかな。

このテの店としては店内が格段にきれいで、広い。壁面がガラス張りのため通りから中の様子がよくわかり、安心感がある。それもあって市内各所に散見する同名のソルロンタン専門店の、ここが「本店」かと思うのだが、実情は違うらしく、それらは支店でもチェーン店でもフランチャイズでもなく、それぞれが勝手に「ソウルカクトゥギ」を名乗っているということだ。こういうアバウトさも韓国社会の持ち味だ。

ソルロンタン/8000ウォン
店名/ソウルカクトゥギ
地域/南浦洞

はじめに 【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】 

キムチのチとチゲのチ Ⅱ
釜山「食堂・屋台メニュー」全24食
はじめに
(文・写真 大野金繁)

はじめに

円高で苦しむ日本を尻目に、韓国イ・ミョンバク政権はウォン安政策をとり輸出拡大に精を出している。これを対日本の為替レートで見ると100ウォンが7円にまで急落する事態で、4年前の約半値。さあ、どうなる?
と、いきなり慣れない経済の話で、この先どう続けていいかわからなくなったが、とにかくだ、高い円を安いウォンに換えることのできるいま、私としてもこの際、贅沢三昧の撮影旅行を期待し、大船に乗って(実際は小船のビートルだが)釜山に上陸したのであった。

これが11月8日のこと。7泊8日で釜山の観光物件60数件を撮影するという仕事だ。ただし通訳なし、コーディネーターなしの、たったひとりの道行き。不安が先行するなか幸いノルマは果たしたが、物件リスト作成者には決して理解しえない艱難辛苦を味わった。言葉がわからんまま道を尋ねる、山の中の分かれ道で途方に暮れる、といったたんなる不案内によるものばかりでなく、韓国の社会と人に特有の「適当でよしとする割り切りのはやさ」などにも苦しめられた。ま、日頃の私も同じようなもんだけどさ。

で、戻って以来、取材費の精算作業を続けているのだが、どうやら意気込みに反し、贅沢三昧とはいかなかったようである。なにしろ8日間で7万円も遣っていない。この7万円(=966000ウォン。両替時のレート1380.00。100ウォンが約7円25銭)には7泊分のホテル代と帰りのビートル代を合わせた約3万円(415000ウォン)が含まれており、実質私が撮影と食事に費やした額は4万円に満たない。なんだよ、1日5000円も遣ってないのかよ、と。どうして私はこんなにも金を遣えなかったのか。

ひとつは、ホテル代が安すぎた。東横インが繁盛しており、連泊できない状態だったため、急きょ隣のアリランホテルにチェックイン。ここは1泊42000ウォンで東横インより20000ウォンほど安い。安い理由はちゃんとあるわけで、そのあたりの微妙なフンイキついては別稿「アリランホテル」で報告するとして、ま、金を遣いたいなら、ホテルをちゃんと選ぶべき、とだけ言っておく。

ふたつめの理由は、韓国における公共交通料金の安さだ。地下鉄(正式名称:釜山都市鉄道)は1区間と2区間にエリア分けされるのみで、1区間だと1100ウォン、その外側の2区間に足を延ばしても1300ウォン。日本円にして100円未満で、もうどこへだって行けちゃうのだ。

で、行けないとこや、歩きたくない場合にはタクシーを利用するわけだが、これがまた安い。基本料金は最初の2㎞が2200ウォン、その後100ウォンずつあがる。これを日本円に換算すると、基本料金159円、以後7円ずつ上昇で、どんだけ乗ろうが500円を超えるなんてことはめったにない。福岡で「3000円を超えたかな」と不安になる距離でようやく600円台という感覚。日本の4~5分の1の料金で利用できるのが釜山のタクシーだ。

ただ、地下鉄と違ってタクシーの場合は行き先を伝えるという、ちょっとしたやりとりが発生する。これがスムーズにいかないこともある。私の場合は「太宗台」が通じず、自信を失った。幸いにも運転手がいい人で、何度も聞き返してくれ、「ああ、テジョンデね」と最後には了解してくれたが、だから最初からテジョンデと言ってるだろうがよ、と思わないでもなかった。よくよく考えれば最初の「テ」の音が弱かった。唾を飛ばすくらいの勢いで「ッテ」と言えばよかったのだ。たぶん。

というようにタクシーにはちょっとした面倒があるが、なにしろ安い。重い機材を抱えているため、ビーチ間や山間部など地下鉄がない地域やバス路線が直通していない地域間での移動に利用した。

金を遣えなかった最後の理由は、食費の安さだ。もちろん、釜山はソウルに次ぐ韓国第2の都市であり、人口は340万人を超える。環境インフラもすすみ、特に港湾施設の巨大化と、山肌をのぼる高層住宅群の景観には目を見張るものがある。福岡など問題にならない大都市であり、観光資源に恵まれているため外国人観光客も多数。高い飯を食おうと思えば、そのテのレストランはいくらでもある。

要するに、金を遣えなかったのは、そういう場所で食わず、街の食堂や屋台ですませたためだ。実のところ、後半になればなるほど食事への熱意は失せていき、パン屋でサンドイッチ、コンビニでビールを求め、ホテルの部屋で流し込むこともあった。それさえ面倒で「食わずに寝たい」と思った夜もある。

しかし飯に関するレポートを提出すると約束した手前(って誰と約束したのか?)、食事を抜くわけにもいかず、風呂につかったあとふらつく脚を再びジーンズに突っ込み、ジャンパーをはおって街へ這い出たことも度々。このようにして味わった料理の数々がここに報告する「釜山『食堂・屋台メニュー』全24食」である。大層な前書きの割に目新しい料理は少ないが、悲哀を肴に味わっていただければ幸いである。


大野金繁 1955年福岡生まれ
フリーのライター・カメラマンです。主に旅行誌、ガイドブック、PR誌で仕事をしており、ほかに食品関係の業界紙記者、市史編纂室調査員の名刺も持っています。1990年代初頭からガイドブックや情報誌の取材で度々訪韓。個人的にもソウル、東海岸、釜山と一人旅を楽しみました。旅行関係では、ブルネイやカンボジアをはじめインド、フィリピン、中国などで世界遺産の取材も経験しています。
2000年前後から在日コリアンへの聞き書き及び撮影を開始し、高齢者への聞き書きをまとめた『無年金』という本が書肆侃侃房から出ています。
http://www.kankanbou.com/kankan/item/382

「釜山『食堂・屋台メニュー』全24食」のコラムを掲載!

書肆侃侃房で『無年金』という本を出しているフリーライター・カメラマンの大野金繁さん。よく釜山を訪れていて、今回取材のため、7泊8日で釜山の観光物件60数件をまわったとのこと。「はじめに」の原稿が、ある人を通じて、ぴのこのところまでやってきました。「釜山『食堂・屋台メニュー』全24食」をどこかで公開したいとメールにあったのと、Twitterでこの取材の期間中食べたものをアップしていたのを読んでいたので、ぜひ、かんかんKOREAで連載お願いします!とお願いして、連載をアップしてもらうことになりました。さて、その「はじめに」から皆さん、お楽しみください!全体のタイトルは、「キムチのチとチゲのチⅡ」です。1週間に2,3回のペースでアップされますので、まとめて読みたい方は、右側のカテゴリーまたはこちらよりどうぞ。

キムチのチとチゲのチⅡ「釜山『食堂・屋台メニュー』全24食」 

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