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はじめに 【釜山「食堂・屋台メニュー」全24食】 

キムチのチとチゲのチ Ⅱ
釜山「食堂・屋台メニュー」全24食
はじめに
(文・写真 大野金繁)

はじめに

円高で苦しむ日本を尻目に、韓国イ・ミョンバク政権はウォン安政策をとり輸出拡大に精を出している。これを対日本の為替レートで見ると100ウォンが7円にまで急落する事態で、4年前の約半値。さあ、どうなる?
と、いきなり慣れない経済の話で、この先どう続けていいかわからなくなったが、とにかくだ、高い円を安いウォンに換えることのできるいま、私としてもこの際、贅沢三昧の撮影旅行を期待し、大船に乗って(実際は小船のビートルだが)釜山に上陸したのであった。

これが11月8日のこと。7泊8日で釜山の観光物件60数件を撮影するという仕事だ。ただし通訳なし、コーディネーターなしの、たったひとりの道行き。不安が先行するなか幸いノルマは果たしたが、物件リスト作成者には決して理解しえない艱難辛苦を味わった。言葉がわからんまま道を尋ねる、山の中の分かれ道で途方に暮れる、といったたんなる不案内によるものばかりでなく、韓国の社会と人に特有の「適当でよしとする割り切りのはやさ」などにも苦しめられた。ま、日頃の私も同じようなもんだけどさ。

で、戻って以来、取材費の精算作業を続けているのだが、どうやら意気込みに反し、贅沢三昧とはいかなかったようである。なにしろ8日間で7万円も遣っていない。この7万円(=966000ウォン。両替時のレート1380.00。100ウォンが約7円25銭)には7泊分のホテル代と帰りのビートル代を合わせた約3万円(415000ウォン)が含まれており、実質私が撮影と食事に費やした額は4万円に満たない。なんだよ、1日5000円も遣ってないのかよ、と。どうして私はこんなにも金を遣えなかったのか。

ひとつは、ホテル代が安すぎた。東横インが繁盛しており、連泊できない状態だったため、急きょ隣のアリランホテルにチェックイン。ここは1泊42000ウォンで東横インより20000ウォンほど安い。安い理由はちゃんとあるわけで、そのあたりの微妙なフンイキついては別稿「アリランホテル」で報告するとして、ま、金を遣いたいなら、ホテルをちゃんと選ぶべき、とだけ言っておく。

ふたつめの理由は、韓国における公共交通料金の安さだ。地下鉄(正式名称:釜山都市鉄道)は1区間と2区間にエリア分けされるのみで、1区間だと1100ウォン、その外側の2区間に足を延ばしても1300ウォン。日本円にして100円未満で、もうどこへだって行けちゃうのだ。

で、行けないとこや、歩きたくない場合にはタクシーを利用するわけだが、これがまた安い。基本料金は最初の2㎞が2200ウォン、その後100ウォンずつあがる。これを日本円に換算すると、基本料金159円、以後7円ずつ上昇で、どんだけ乗ろうが500円を超えるなんてことはめったにない。福岡で「3000円を超えたかな」と不安になる距離でようやく600円台という感覚。日本の4~5分の1の料金で利用できるのが釜山のタクシーだ。

ただ、地下鉄と違ってタクシーの場合は行き先を伝えるという、ちょっとしたやりとりが発生する。これがスムーズにいかないこともある。私の場合は「太宗台」が通じず、自信を失った。幸いにも運転手がいい人で、何度も聞き返してくれ、「ああ、テジョンデね」と最後には了解してくれたが、だから最初からテジョンデと言ってるだろうがよ、と思わないでもなかった。よくよく考えれば最初の「テ」の音が弱かった。唾を飛ばすくらいの勢いで「ッテ」と言えばよかったのだ。たぶん。

というようにタクシーにはちょっとした面倒があるが、なにしろ安い。重い機材を抱えているため、ビーチ間や山間部など地下鉄がない地域やバス路線が直通していない地域間での移動に利用した。

金を遣えなかった最後の理由は、食費の安さだ。もちろん、釜山はソウルに次ぐ韓国第2の都市であり、人口は340万人を超える。環境インフラもすすみ、特に港湾施設の巨大化と、山肌をのぼる高層住宅群の景観には目を見張るものがある。福岡など問題にならない大都市であり、観光資源に恵まれているため外国人観光客も多数。高い飯を食おうと思えば、そのテのレストランはいくらでもある。

要するに、金を遣えなかったのは、そういう場所で食わず、街の食堂や屋台ですませたためだ。実のところ、後半になればなるほど食事への熱意は失せていき、パン屋でサンドイッチ、コンビニでビールを求め、ホテルの部屋で流し込むこともあった。それさえ面倒で「食わずに寝たい」と思った夜もある。

しかし飯に関するレポートを提出すると約束した手前(って誰と約束したのか?)、食事を抜くわけにもいかず、風呂につかったあとふらつく脚を再びジーンズに突っ込み、ジャンパーをはおって街へ這い出たことも度々。このようにして味わった料理の数々がここに報告する「釜山『食堂・屋台メニュー』全24食」である。大層な前書きの割に目新しい料理は少ないが、悲哀を肴に味わっていただければ幸いである。


大野金繁 1955年福岡生まれ
フリーのライター・カメラマンです。主に旅行誌、ガイドブック、PR誌で仕事をしており、ほかに食品関係の業界紙記者、市史編纂室調査員の名刺も持っています。1990年代初頭からガイドブックや情報誌の取材で度々訪韓。個人的にもソウル、東海岸、釜山と一人旅を楽しみました。旅行関係では、ブルネイやカンボジアをはじめインド、フィリピン、中国などで世界遺産の取材も経験しています。
2000年前後から在日コリアンへの聞き書き及び撮影を開始し、高齢者への聞き書きをまとめた『無年金』という本が書肆侃侃房から出ています。
http://www.kankanbou.com/kankan/item/382

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